盛ったのは薬ではなく話では?

政治


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※面倒な方は記事の後半に簡単なまとめを作っているのでそちらへどうぞ。

まずは読んだ瞬間に眉唾だと直感してしまう記事から。

長いですが記録として残す意味も込めてまとめて引用します。

【特攻隊の『覚醒剤チョコ』最後の食事だったのか…記録には残されず「食べた瞬間にカーッときました」食料工場の女性や軍医の証言】
 戦時中に決死の任務を与えられた部隊・特攻隊(特別攻撃隊)。この特攻で陸・海軍あわせて約6000人が亡くなりました。その特攻隊員が出撃前に最後の食事として口にしていた可能性があるというのが“覚醒剤入りのチョコレート”。記録に残されなかった『覚醒剤チョコ』を取材しました。

「菊の紋章」が入っていたという“覚醒剤チョコ”

 アメリカ軍の艦隊に次々と突撃していく若き日本軍兵士たち。特攻という無謀な作戦により6371人の尊い命が奪われました(日本側の戦死者:(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会による)。実はこの特攻には知られざる悲劇が隠れていたのです。

 梅田和子さん(91)。終戦の年の1945年2月ごろ、疎開先近くの茨木高等女学校に転校しました。学校は兵隊の食料工場になっていて、梅田さんはチョコレートを紙に包む作業を命じられたといいます。そのチョコを上級生から命令されて食べた日が忘れられません。

 (梅田和子さん)
 「(チョコを)食べた瞬間にカーッときましたね。ちょっとおかしい、普通のチョコレートじゃないなとわかりました。チョコレート(を食べたら)クラっとしたと(父に)言ったら、父は『ヒロポン(覚醒剤)でも入っているんだろうな』と」

 チョコレートにヒロポン(覚醒剤)が入っていたというのです。

 (梅田和子さん)
 「(先生からは)『軍隊へ兵隊さんに贈るんだ』と言われましたね。上級生は『特攻隊員が死ぬ前に食べていくんだよ』と言われましたね。だから大事なチョコレートだって」

 特攻隊員の最後の食事だったという覚醒剤チョコ。どんなものだったのでしょうか。梅田さんに絵を描いていただきました。

 (梅田和子さん)
 「これがチョコレートです。菊の御紋が押してあるんですよ。『天皇からの贈り物』だと」

 チョコレートは長さ15cmほどの円柱で、天皇の象徴である菊の紋章が入っていたといいます。ただ、この学校で覚醒剤チョコが作られていたという記録は残っていませんでした。

当時は“栄養剤”のように扱われていた覚醒剤

 戦時中に覚醒剤チョコは使われていたのか。手掛かりを求めて取材班は東京に向かいました。話を聞いたのは覚醒剤の歴史に詳しい北多摩薬剤師会の平井有会長です。平井会長によると当時、覚醒剤は今では考えられないような使われ方をしていたといいます。

 (北多摩薬剤師会 平井有会長)
 「ヒロポンということで、これで500錠が入っていた。極端に疲れた場合とか夜間の作業とかいろいろ書かれている。(Q栄養剤のようなもの?)栄養剤、強壮ドリンクみたいな感じにとられてもしょうがなかった」

 覚醒剤は危険薬物という認識は無く、市販もされて広く一般で使われていたといいます。実際、当時のチラシには次のように書かれています。

 【ヒロポンの当時のチラシ】
 「戦時活動への拍車」
 「疲労の防止と快復に!」

 特攻隊員に覚醒剤チョコを食べさせていたのか、梅田さんが描いた絵を見てもらいました。

 (北多摩薬剤師会 平井有会長)
 「特攻隊に使われた可能性はありますよね。お菓子と一緒に出した可能性はあるかもしれないけどね。記録はまず残っていないでしょう」

 ここでも記録は見つかりませんでした。ただ当時、軍が覚醒剤を使用していたという記録は残っていたことがわかりました。軍と覚醒剤のつながりが浮かび上がってきたのです。

特攻隊員に覚醒剤を注射していた元軍医『本当にかわいそうで仕方ない』

 その答えを知る人が新潟県にいました。蒲原宏さん(98)は、1945年、多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県にある海軍の航空基地で軍医をしていました。そこで「出撃前の特攻隊員に覚醒剤を注射していた」と証言します。

 (蒲原宏さん)
 「僕は初めはヒロポンとは知らなかったわけですよ。黒いケースに10本アンプルが入っていて、説明書にはただ『筋肉内注射しろ』と。『出発前にやれ』という命令だけでよくわからなかった」

上官の命令で約300人の特攻隊員に覚醒剤とは知らずに注射をしていたといいます。その目的は…

 (蒲原宏さん)
 「眠らないためということが主目的でしたね。戦闘力というか興奮させるといいますかね、そういうものを増進させることが目的だったようですね」

 鹿児島の基地から戦場の沖縄までは戦闘機で3時間ほどの距離があり、夜間の出撃で眠ってしまわないようにする狙いがあったといいます。

 注射された特攻隊員の多くは平静を保ったまま出撃しましたが、中には…

 (蒲原宏さん)
 「真ん中あたりに指揮官が乗るわけですよ。それが日本刀を振り回して滑走路を飛んで行くのを見たことがあったが、今考えると(覚醒剤で)興奮したのかなと思うけど、わからないですね」

 特攻隊員に贈った覚醒剤チョコの存在も知っているのでしょうか。梅田さんが書いた絵を見てもらいました。

 (蒲原宏さん)
 「これは見たことがありませんね。(私のもとには)実際来ていませんね。陸軍はチョコレートに(覚醒剤を)入れたなんてことを言っていたけど、海軍はもっぱら注射だけでしたね」

 特攻隊員に使われた記録はありませんでしたが、陸軍では覚醒剤チョコを作っていたというのです。

 一方で蒲原さんは今も特攻隊員に注射したことを後悔しています。

 (蒲原宏さん)
 「本当にね、ヒロポンを打たれて死んだ人に対しては申し訳ないと思いますよ。内心忸怩たるものはありますね。今でも時々夢を見ますよ。どんな気持ちだったか、本当にかわいそうで仕方ないですよ」

悲劇の背後に隠された“不都合な真実”

 特攻という悲劇の背後に隠された覚醒剤。軍と覚醒剤について長年研究をしている相可文代さんは、覚醒剤チョコの記録がほとんど残っていない理由を次のように指摘します。

 (相可文代さん)
 「戦後、覚醒剤のヒロポン禍と言われる、いわば幅広く中毒者が出た事件があったんですよね。(特攻で)純粋な気持ちで亡くなっていった若者たちが、実は覚醒剤を摂取して出撃していたんだなんて、そんなことは絶対に認めたくないと、当然遺族はそう思いますよね。周りもそれには触れない。軍の上層部もそんなものを与えていたとは知られたくない。不都合な真実だと思いますね」

『戦争というのは自由を失う』

 今は自由な生活を楽しむ梅田和子さん。覚醒剤チョコについて「当時は反対できる状況になかった」といいます。

 (梅田和子さん)
 「何をしてもあのころは(戦争に)協力しない生き方というのは見つけられないですね。戦争というのは自由を失うんです。一つの方向にみんなそっちを向かないといけないという、この怖さがありますね。一人一人みんな大事な命を持っていることをもっと認識されないと」

 軍の無謀な作戦により尊い命が犠牲となった特攻。その裏にある“不都合な真実”も語り継いでいく必要があるのではないでしょうか。

 (2022年8月16日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)
(2022/8/17 MBSニュース)

まず、記事のタイトルが不適切ですね。
複数の人間が証言しているかのようなタイトルになっていますが、
覚醒剤チョコなるものを証言しているのは
食料工場で働いていたと自称している梅原和子という女性だけです。

そしてそれを軍が隠したい不都合な真実だと拡散活動を昨年から行っているのが
相可文代という日教組の活動家です。

相可文代氏は自由社、育鵬社の歴史教科書を採用させない運動や
従軍慰安婦強制連行は事実ではないと政府が公式に認めた事で
教科書の関連の記述内容が修正されそうになったため、
教科書の慰安婦等の虚偽記述を元に戻させないようにする活動などをしている方です。

共同通信や地方新聞などでも
この相可文代の

「チョコ包むの見たと証言している人がいる。」
というのを根拠に、
覚醒剤チョコの話を配信しているようです。

マスゴミとしては相可文代という日教組のバリバリの活動家が広めようとしている
「特攻隊を貶める創作ストーリー」
を事実として定着させようという魂胆のように見えて仕方がありません。

ブログ主は創作ストーリーと書きましたが、
それはこの話がでっち上げである可能性が極めて高いためです。

この日教組の活動家である相可文代氏が根拠としている
梅原和子という方の証言は今回とりあげたMBSの記事がわかりやすいですが、
まずチョコレートを取り巻く日本の当時の状況について。

「チョコレートの世界史(中公新書)」の第3版の
「戦地のチョコレート」という項によれば

1940年12月を最後にカカオ豆輸入はストップ。
軍ルートでごく限られた用途にだけカカオが配給されるのみとなり、
カカオバターは医療用などに使われたとあります。
そして、1950年までの10年間、日本はカカオの輸入が止まっていたとあります。

また、日本チョコレート・ココア協会のHPに
日本のチョコレート生産の歴史
おおまかに書かれています。

昭和12年にはカカオの輸入制限がかかり、
昭和15年には軍需用以外のチョコレート製造が中止、
カカオの輸入が途絶したことにより
昭和16年から代用品を材料に使ったチョコの研究がされていたものの
量産などには至らなかったと書いてあり、
日本でのチョコレート生産の再開は昭和26年と書かれています。

次にヒロポンについてです。

当時はヒロポンは栄養剤みたいな扱いでした。
経口接種では効果が大きく下がりますから注射です。
坂井三郎も当時は注射されていた事に触れています。

ヒロポンが覚醒剤として一般の流通などが禁止されたのは昭和26年です。

たとえば昭和22年2月6日と同7日の東京新聞に掲載された坂口安吾のエッセイから抜粋しますが、

—–
 私の街が焼野原になった夜、焼い弾が落ちはじめたとき、このヒロポンを飲んだ。どうにも睡くて仕方がないからで、戦争中は私は実にねむかった。そのヒロポンのせいだか、私は妙に怖くなかった。頭上で焼い弾がガラ/\やるのを軒の下からながめて、四方の火がだん/\迫ってくるのを変な孤独感で待ちかまえていたのである。

 ホープの編集記者の新美という人が、元来心理学を専攻した人で、戦争中、航空隊に属してヒロポンの心理反応を取り扱い、特攻隊にヒロポンを用いるつもりであったという、多少は度胸をつけること私も実験ずみだが、この新美氏のヒロポンの知識は専門家だから大したもので、私は二時間にわたってヒロポンの講話を承ったが、あんまり専門的な話だから、感心しながら、みんな忘れてしまった。ノートをとっておけばよかった。
 そのとき、ヒロポンは元来モヒ中毒の薬として発明されたものだということを知った。そのうちに覚せい剤としての効能などが分ってきたのだそうである。船酔いなどにも良いそうだ。とにかく、きく。これを飲めば十時間は必ず眠れぬ。その代り、心臓がドキ/\し、汗がでる、手がふるえる、色々とにぎやかな副産物があって、病的だが、仕事のためには確かによいから、自然、濫用してしまう。

 織田作之助がヒロポンを濫用していた。彼は毎日ヒロポンの注射をして仕事にかゝるのだが、毎日というのは、よろしくない。
 私は仕事の日と、遊ぶ日を別にしており、仕事の日は仕事だけ、遊ぶ日は遊ぶだけ、というやり方だからヒロポンは毎日用いてはいない、もっとも、ヒロポンを用いて仕事をすると、三日や四日の徹夜ぐらい平気の代りに、いざ仕事が終って眠りたいという時に、眠ることができない。眠るためには酒を飲む必要があり、ヒロポンの効果を消して眠るまでには多量の酒が必要で、ウイスキーを一本半か二本飲む必要がある。原稿料がウイスキーで消えてなくなり足がでるから、バカげた話で、私は要するに、全然お金をもうけていないのである。

—–

こんな感じでヒロポンが使われていたような時代です。

ですから今回取り上げたMBSの記事にあるように
ヒロポンがとても後ろめたいものなので軍としては隠したかった不都合な真実だ。

みたいな話は極めて信憑性が低いと言えます。

というか戦後にヒロポンという覚醒剤が極めてよろしくないという価値観になってから
戦中のことに当てはめて考えたお話なのではないかと考えます。

「食べた瞬間にカーッっときました」
なんていう証言をされていますが、

この表現もこの梅田和子という方が自分の想像で考えたものではないかと疑わざるをえません。

ヒロポン、成分で言えばメタンフェタミンは他の覚醒剤よりも
とりわけその効果の持続時間が長いのが特徴です。

経口接種では15~30分ほどで覚醒作用が表れはじめ、

それが長い時間続くようです。

ヒロポンを使っていた坂口安吾のエッセイでも
覚醒作用の持続時間の長さがうかがえます。

梅田和子という方は経口接種で「食べた瞬間カーッっと」なるようです。
唐辛子が入っていたのなら納得の表現ではありますけど……。

さて、この件は昨年の8月15日に共同通信が記事にして配信しています。

その記事が以下。

【これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠 「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡】
 太平洋戦争末期、米艦に零戦機などで突っ込み、時に〝軍神〟とあがめられたり、時に「無駄死にだった」と切り捨てられたりもした特攻作戦の悲劇。出撃前の特攻隊員には覚醒剤「ヒロポン」が与えられていた。この問題は真正面から研究された様子がないが、大阪の元中学教員の相可文代さん(71)は、勤労奉仕で覚醒剤入りのチョコレートを包む作業に従事した女学生の実体験を知ったことをきっかけに独自に調べ、このほど冊子にまとめた。

 覚醒剤と知らされず服用し命を散らした若者らの悲哀と、上官や国家体制の無責任さ。志願制とは名ばかりの死への強制の中で、最後には薬物も使った特攻作戦はまさに「統率の外道」(大西滝治郎海軍中将)だ。「祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に満ちないと敵艦には突入できなかった」と相可さん。「実証」にこだわった研究を、冊子の記述と相可さんの言葉からたどる。引用は原文のままとした。(共同通信=真下周)

 ▽「一口食べてカッと体が熱くなった」

 2016年9月、相可さんは平和学習会で戦争体験者から思いがけない話を聞いた。「兵隊さんに送るチョコを包む仕事と言われ、プレハブ工場に連れて行かれました」「チョコを一口食べ、カッと体が熱くなったのを覚えています」

 大阪府高槻市在住の梅田和子さん(90)は、1945年の春、茨木高等女学校(現在の府立春日丘高校)の学生だった。父は弁護士で、大阪市内の裕福な家に生まれ育った。空襲がひどくなり、祖母と高槻に疎開していた。

 隣の同府茨木市にあったゴルフ場は陸軍の食糧補給機関になっていた。備蓄用の食料品が保管され、ここから戦地に運ばれていった。市内の山間部に海軍関連の倉庫として建設された地下トンネルにも、特攻隊が出撃前に食べるための覚醒剤入りのチョコ(チューブ型)が保管されていたようだ。
(2021/8/15 共同通信)

2021年の記事での梅田和子氏の証言とされる内容。

・「兵隊さんに送るチョコを包む仕事と言われ、プレハブ工場に連れて行かれました」
・「チョコを一口食べ、カッと体が熱くなったのを覚えています」

今回取り上げたMBSの記事にある梅田和子氏の証言

・「疎開先近くの茨木高等女学校に転校した。学校は兵隊の食料工場になっていて、チョコレートを紙に包む作業を命じられた」
・「チョコを食べた瞬間カーッときた。クラッとした」

過去のものだとプレハブ工場に連れて行かれて働かされた事になっていて
今年のバージョンは
「疎開先の学校が食料工場になっていた」
という内容に調整されたようです。

そもそも当時はヒロポンは栄養剤みたいな扱いで
兵士に注射されていたどころか、

民間人ですら利用していたわけです。
そして戦後数年間ヒロポンが当たり前に使われていたほどです。

ヒロポンに対してそんな認識の中で
極悪な覚醒剤だからチョコに隠して盛っていたかのようなストーリーは

戦後の価値観を無理矢理ねじ込んだようにしか見えず、整合性が取れないように思います。

またMBSの記事にある軍医をしていたとする蒲原宏という方の
「ヒロポンと知らされずに注射させられていた」
という説明も後から考えたように思えて仕方がありません。

当時は合法で栄養剤みたいに当たり前に使われていたんです。
わざわざ隠す理由がありません。

仮に、
「ヒロポンは覚醒剤でものすごく悪い薬だから隠して使っていたに違いない」
などと、戦後の後付けの知識でストーリーを考えたとすれば
この説明も納得いくものではありますが。

当時材料も無く生産が止まっていたはずのチョコレートをわざわざ生産して
そのチョコレートに隠すように仕込んで特攻兵が特攻に出る直前に食べさせていた。

……当時合法で隠す必要がなかったものなのに
なんでわざわざこそこそしなきゃいけないんですか?
やはりこのようなストーリーにブログ主は全く説得力を感じません。

戦後の価値観で戦中の話を創作したと考えないと整合性が取れません。

「日本軍は極悪非道な組織で兵士達に覚醒剤を投与してハイにさせて非人間的なことをやらせていた!」
「特攻兵は薬でおかしくなっていたから特攻できたんだ」

と言ったあたりの話で貶めようと
昨年から始められたキャンペーンのように見えて仕方がありません。

K国の自称慰安婦の方々の証言はなぜか証言のたびに内容が変わっていたり、
過去の証言の矛盾に合わせて内容がアップデートされていたりしましたが、
どうも今回の話も唯一証言している方の主張がアップデートされているようですし。

そしてMBSの記事にある日教組の活動家である相可文代氏の説明が
「後付けの中途半端な知識で考えついたストーリー」
感をさらに強化しています

—–
(相可文代さん)
 「戦後、覚醒剤のヒロポン禍と言われる、いわば幅広く中毒者が出た事件があったんですよね。(特攻で)純粋な気持ちで亡くなっていった若者たちが、実は覚醒剤を摂取して出撃していたんだなんて、そんなことは絶対に認めたくないと、当然遺族はそう思いますよね。周りもそれには触れない。軍の上層部もそんなものを与えていたとは知られたくない。不都合な真実だと思いますね」

—–

戦後のヒロポン禍なんてものが起きた時点には
軍はとっくに無くなっているわけで、
さも軍が不都合な真実だから隠蔽していたかのように思わせたいような言い回しは
輪を掛けて説得力を失わせているように思います。

繰り返しになりますが当時ヒロポンは合法で
使う事が極めて後ろめたいものだから隠して使わなければいけないものではなく、
普通に使われていたのです。

ですので
「わざわざチョコに隠して覚醒剤であるヒロポンを盛っていた」
というストーリーは出だしからすでに破綻しているのです。

と、ここまで書いたところで
たしかに戦中軍需用にわずかにチョコレートが作られていた話はあるので
ついでにそれについて考察してみましょう。

参考になる記事が2020年の西日本新聞の記事にあります。

【睡魔防止の軍用チョコ】
(2020/2/13 上別府保慶 西日本新聞)

記事から一部抜粋します。

—–
 洋行経験があり、無謀な戦争に反発した永井荷風は日記「断腸亭日乗」の1942年2月2日に「甘きものくれる人ほどありがたきはなし」と書いた。配給生活の中、親しい人々がようかんやココアをくれたのを喜び、涙の歌も添えた。

 「あじき(あぢき)なき浮世の風の吹く宵は人のなさけにしぼる袖かな」

 日本の軍部はこの1年余り前にチョコレート原料のカカオ豆の輸入がストップすると、指定した業者にだけカカオ豆を配給した。

 航空機の搭乗員は長距離を飛んだ帰り道に睡魔に襲われる。海軍はその眠気対策として、カフェインを混ぜたチョコレート「居眠り防止食」を開発させた。また、室温が40度にも達する潜水艦の乗組員のために、特殊な機械で圧縮して作る「溶けないチョコレート」も考案された。

 やがて占領地のインドネシア産のカカオ豆が使えるようになると、陸海軍は森永製菓や明治製菓に軍用チョコレートを現地で生産させた。それは海路を絶たれて内地へは届かなかった。原料にブドウ糖やユリ根、チューリップの球根などを使った代用品が試みられたもののやはり味は劣った。

—–

航空機の搭乗員の眠気防止のためにカフェインを混ぜたチョコレートを作らせた。
たしかにこれなら納得です。

しかしながら戦況が悪化すると
かろうじてインドネシアで生産していたチョコも日本に入ってこなくなったと。

日本チョコレート・ココア協会の資料などから考えても
代替品でチョコを作ってみたもののそれは味に劣るなどしていて量産化されず終わった。

そういう事になるでしょう。

梅田和子氏の証言だと氏が生産に関わっていた「覚醒剤チョコ」とやらは
昭和20年の春に作られていた事になります。

代替チョコの可能性はありますが、
代替チョコは量産化されていなかった事がわかっています。

ヒロポンの注射で行っていたものをわざわざ
「チョコに隠して盛っていた」
という相可文代氏が広げようとしているストーリーは
チョコの生産という文脈からも信憑性が低いと考えるべきでしょう。

長くなってしまいましたが、簡単にまとめます。

—–
・戦中でヒロポンを人に言えない悪い薬だったかのように扱いチョコに隠して盛っていたかのようなストーリーは
日教組の活動家である相可文代氏が梅田和子氏の証言をソースとして2021年から広める活動を開始したもの。

・当時ヒロポンは当たり前に流通、使用されており、一般流通が禁止されたのは昭和26年

・ヒロポンを人に言えない悪い薬のように扱うのは戦後の認識

・梅田和子氏の証言内容がアップデートされている。
(兵隊にプレハブ工場へ連れて行かれた → 疎開先の学校が食料工場になっていた)

・戦中は国内でチョコレートが生産できなくなり、代替チョコが試されたが量産、流通化はされなかった。

・梅田和子氏の証言でも彼女の父がヒロポンでも入っているんだろうなと言ったというのがヒロポン混入疑惑の根拠

・梅田和子氏のヒロポンチョコを食べた感想が本当のヒロポンの経口服用の症状とは考えにくい

・ヒロポンチョコが作られていたなんて話は記録等一切残っていない。
(軍の食料工場だったとすれば命令書や在庫表の一つすらも残っていないとは考えにくい)
—–

どうにも日教組の活動家である相可文代氏が
「日本軍は極悪非道な組織で兵士達に隠して覚醒剤を投与してハイにさせて非人間的なことをやらせていた!」
というような話を広げようという目的で梅田和子氏の証言を使っているように思います。

梅田和子氏の証言が
承認欲求を満たしたくてついつい話を盛ってしまったのか、

そうではなく本当にそのような記憶だったのか、
そこは断定はできませんが、
極めて信憑性の低いものであるとブログ主は考えます。

この記事のURL:https://pachitou.com/?p=4998

コメント

  1. メタンフェタミン(日本での商品名ヒロポン)に問題があると解明されたのは、茶請けのご推察通り昭和20年の停戦後の話しです。
    それまでは画期的な活力剤としての認識であり、当時の感覚では現在のユンケルスターのような扱いだったとのことです。
    現在の覚醒剤のような感覚は全く無かった時代ですから、後ろめたさも何もあるはずもありません。

    チョコレートに関しても、支那事変に従軍した親戚の爺様なんか「昔はありゃ毒だから、みんな食うなって言っとたから、気持ち悪くて食わなかった」と言っていた時代なので、そもそもチョコレートが当時の日本では市民権を得ていなかったのが実態です。
    一部の上流階級のみが知る、嗜好品の扱いだったわけです。
    日本でチョコレートがお菓子として認知されるようになったのは、少なからず進駐軍が関与しており、戦前戦中に一般人がそうそうお目にかかれる代物ではなかったのです。

    ですからこのファンタジーは、二郎ラーメンで大盛り野菜マシマシマシ以上に盛った話しだとわかります。

    しかし、このような時代背景を知らない人には、この話は効果的に作用するでしょうから、「知らない人が、知ったかぶりして話を作ると、こんな盛り盛りになるんだよ」と、おもしろ可笑しく広めてやるなどすれば良いかも知れませんね。

    • こうやって嘘歴史は捏造されたんですね。

  2. ヒロポンですね、亡くなった父親は、販売の手伝いしてたと言ってましたね、今で言えば栄養ドリンクの類いだったのは間違いなかったですね

  3. お左翼の大好きなソビエト・ロシアは、兵士にウォッカを飲ませて酩酊状態でドイツ軍に突撃させて、大量の戦死者を出しましたよね。
    しかも、政治委員による督戦隊の機関銃まで背後に据えて…
    こちらの方が、余程犯罪だと思います。

  4. >当時は合法で栄養剤みたいに当たり前に使われていたんです。
    わざわざ隠す理由がありません。

    二行で論破される活動家www
    改行しなければ一行www

  5. 私の好きな太宰治は、パビナールでヒロポンは、ダントツで坂口先生ですよねw長年研究というか長年作文書いてただけ。チョコというのがおかしいのは、主様の記事通りで同感。ギブミーチョコレートの時に、一般的には口にした人が多いんじゃないの?それにチョコに菊の紋章も嘘臭いなあ。天皇陛下からだと、おまんじゅうや羊羮では。入れるとしても、チョコよりこっちのが自然。彼らには、特攻隊の方々の崇高なお気持ちが、理解出来ないので貶めたいのでしょうね。しかし、特攻隊の方々はそんな彼らも日本という一つの大きな家族の為に命を懸けて守ってくれたということも彼らには、考えて感じて欲しいです。この証言をした方も、彼らが命懸けで守ってくれたからこそ、今こうして貶める不出来な作文が書けてるありがたみに、感謝して改心して欲しいです。長文すみません。

  6. この話、先日たまたま適当にテレビつけてたらやってまして、んな訳無いやろ と思ってましたので、詳しく解説?してくださって助かりました。
    観ていて、当時は貴重なチョコレートを、しかも菊の紋入りを、出撃前の特攻隊員に配った…って話なら、まぁひょっとしたらあったかもしれないのかなぁ…って感じですけど、当時は普通に使ってた筈のものを隠して混ぜたなんて、流石に『無いわw』でした。

    しかし、証言者の元軍医の男性、終戦時で22歳前後の若さなんですよね。まぁ筋肉注射専門なら2、3回実習すれば誰でも出来るんだろうし、当時の軍隊ならあるのかなぁって感じですが…。

  7. ヒロポンについては簡潔に説明されたページがありますね。

    https://togetter.com/li/1242442

    >広告のとおり、第二次世界大戦の最中では大日本帝国軍の疲労回復剤として大量生産されてて「本土決戦兵器」の一つにすら数えられていた。
    >大戦中の広告には「造れ!送れ!撃て!」だなんて書かれてるレベル

    と当時の広告にも書かれてあるように「後ろめたい薬剤」というイメージなど微塵もない。それをコソコソとチョコに隠したり、注射で打つのが申し訳ないという認識であったりなどちょっとというか到底考えにくいですね。

    戦後になってからはヒロポンへの考え方が変わってくることは茶請けさんも仰る通り。
    「はだしのゲン」でも戦後の動乱期に徐々にヒロポンの常習性が分かり始めた頃の描写はありますね。有名なネタ画像もたくさん出回ってますし。(ち、ちがう。これはただのビタミン剤じゃ」というアレ)

    戦後になって依存性などが判明したことで、ヒロポンの主成分メタンフェタミンは1959年に劇薬指定を受けるも、実は現在も日本薬局方の添付文書の要綱に従えば薬剤師が処方できる薬品として製造販売はされている。

    そういった経緯はちょっと調べたらわかるはずなのに、こういう低俗な活動家連中は浅はかな目論見ででっち上げをやるからこうして簡単にボロを出す。

    • 今でも狙撃手は待ち伏せの際に使うらしく外国の軍事ものの小説には頻繁に出てきます。
      それ読んでヒロポンの主成分アンフェタミンだってのがわかってからの連想作文でしょうね。

  8. 誰がこんな記事書いたの?記者の名前は?
    いい加減、記事の記名を義務化しろよ。てめぇの記事に責任持てよ
    誰が書いたんだよ。名を名乗れよ

    • うーんこのwww

  9. 昔は普通に薬局でヒロポンが売っていた、と聞いたことがあります
    それにかの長谷川町子さんの「サザエさん」に、ヒロポンが出てくる話も有名かと
    戦後、米兵に「ギブミーチョコレート」と子供がねだっていたのも有名で、そんな時代に15cmのチョコレート?
    作り話にしても雑すぎでは

  10. 毎日の更新お疲れ様です。

    今回の与太記事に対して主様や皆さんがしっかり解析しておられますので、自分からはこの記事に対する衛宮士郎くんの忌憚ない一言をw
    「凄まじいな。いや、内容じゃなくて、これを書面に起こす精神性が」

  11. 昔見た刑事モノのドラマ (たぶん西部警察) で、覚醒剤について話すシーンの中で 「戦時中は特攻隊員も使っていた」 というセリフがあったのを覚えているので、昔からある都市伝説なのかもしれませんね。戦前・戦中は合法で、一般に流通していたのだから、個人で使っていた兵士はいたかもしれない。でもそれなら、なおさら軍が 「秘密裏に」 「組織的に」 兵士に摂取させる必要はないですよね。

    この話、構造が 「従軍慰安婦」 や 「731部隊」 とそっくりですね。「極悪非道な日本軍は、きっと秘密裏に悪い事をやっていたに違いない。」 というところから出発する。慰安婦の話も、はじめは 「軍が組織的に女性を強制連行して、性奴隷にしていた。」 という事にしようとした (だから、わざわざ頭に 「従軍」 と付けた) けど、それが嘘だとバレたので、「自分の意思に反して慰安婦になった女性がいたこと自体が問題」 と言って、話をすり替えようとしたんですよね。

    • >自分の意思に反して慰安婦になった

      そりゃ、親に売られたとか正直に言えんわなぁ。

      日本では募集に応じた女性が親戚に「特殊看護婦」とか説明したとか。
      これも嘘話臭いが。

      • ペロシ対イヨンス見る限り、抱かれに行く押し売りだったと思う。
        ローマ法王もトランプも被害者。
        強制しているのはいやんすの方。

  12. 創作する人の性格によくある「着想を得た」ですね。
    既に記されてる方もいらっしゃいますが
    欧米やロシア(ソ連)軍、支那朝鮮でも犯ってたでしょう。
    否、現在も、ですかね。
    傷兵の痛み止めに、所謂違法薬物も携行してたりしますし。

    当時の法や社会情勢を無視して、今の感覚で考察し、話を盛る…
    もう何回も見慣れた手口ですね。
    最近は、テレビで昔の映画を放送する時にも
    「劇中に現在は不適切とされる表現もありますが、
    当時の描写方法を重視し、そのまま放送致します」
    なんて、わざわざ「お断り」テロップ流すくらいですからね。

    それと証言者が、どんな家庭環境で育ったか知りませんが
    これも皆さんご指摘の、高級品?希少価値?のチョコを
    「他のと違ってた」って、日頃おやつに常食してたんですかね。
    「ウイスキーボンボン食べて、酔っ払った」と同じ感覚では?
    コーヒーですら、子供の頃に初めて飲んだ時は「体が火照ってカッとなった」感覚がありましたし。

    ヒロポンといえば
    戦後、退廃的な社会に便乗し、C鮮暴力団が広め、資金源にしてたんじゃなかったですかね。
    それで、昔気質の日本の「〇〇一家」とかの
    「模や薬に手を出さない」の仁義も無視して、一家を潰しながら勢力拡大して
    今に至る歴史もありますしね。

  13. 相可文代のみならず、登場人物全員の出自がグレーゾーンですね。多くが通名で、戦前から居着いていた一族なのだろうと思います。
    奉職経験とネット版官報・文化人類学・民俗学を加味したプロファイリングをすると、こういう結論に至ってしまいます。

    梅田はコリア系。官報で福岡県福岡市にて1953年3月14日に帰化の記録あり。本姓は(オ)。
    平井はコリア系。大韓民国京畿道坡州市坡平面発祥。坡平の「平」を使用。官報で千葉県君津市(旧:君津郡清和村)、東京都江東区、東京都豊島区にて1967年6月12日に帰化の記録あり。本姓は尹(ユン)。
    蒲原(カンバラ)はD和地区の静岡県静岡市清水区蒲原新田(増田町)発祥。鎌倉時代に記録のある地名。

  14. 父親の『ヒロポン(覚醒剤)でも入っているんだろうな』とかいう推測で、
    勝手に「チョコレートにヒロポン(覚醒剤)が入っていたというのです」とか断定してるのもおかしい
    で、証拠がないのは全部隠蔽されたからだって?モリカケメソッドかよ

  15. ま、そうだろなって思ったので何に書いてあったもか忘れましたが、何十年も前にもこの手の話が降って湧いて、当時の隊員の方が明確に否定してました。
    そもそもそんな薬物に頼るような卑怯者じゃないし、第一酩酊していたら当たるもんも当たらんだろ!ということでした。

  16. チョコが出たとして眠気覚ましでしょう。多量の糖分やカフェインを摂る機会がない頃にチョコがあったとして食べればカーッとなるでしょう。ところでヒロポン入りチョコを注射したってことですか?ヒロポンって食べるもの?

  17. 確認できているのが昭和5年以降なのですが、明治も森永も田舎の地方紙にですら盛んにチョコの広告を打っているので、当時の庶民が全く知らなかったと言うことは無いと思います。もちろん個人の味の好みは合ったでしょうし、どの程度の人間が新聞を取れていたかも分かりませんが。
    戦後しばらくまで家庭用の注射薬は平気で販売しておりましたので、いくら服用出来るヒロポンがあったとしても、わざわざチョコに混ぜる必要があったか非常に疑問ですね。せいぜいこじつけて考え得る理由としては一緒にしちゃって輸送の簡略化ですかねぇ。

  18. この女学生がチョコレートを包む作業をした、まではまあ無くはないとして。

    軍人さんのためのチョコレート、しかも菊の紋入り。

    包装作業をしていた女学生が何故食べたのか??

    上級生から命令された事になってますが、その上級生自らが「貴重なチョコレート」と言ってますよね。それを包装作業中に下級生に対して食べるように命令??

    そんな事が許される世相や状況ではないと思いますが。

    • しかも15センチのチョコ!

      ボクサーは減量して計量クリア後にケーキとか甘いものや炭水化物を大量に摂りますが、身体中から汗が出る程いきなり血糖値が上がるそうです。
      甘くて高カロリーのものならなんでも同じ結果ではないかと。
      酩酊してたら往路で相当沢山の航空機堕ちてるはずなんですが?

  19. 梅田和子の証言がアップデートされていたり
    相可文代が話を盛っているのを見るにつけ
    従軍慰安婦をでっち上げた「詐話師」吉田清治を思い出しました。

    本質的には同じじゃないのか?と思ってしまいます。

  20. >読んだ瞬間に眉唾だと直感してしまう記事
    >ヒロポン

    何でもかんでも日本軍が悪いという形にしたいのが見え見えですね!
    まあ、でも…あの戦争を煽りまくったのはこの手の輩たちで、戦後にはマスゴミと一緒にコロッと手のひらを返して、こうやってクソをまき散らしているわけです。

    もうね…記事にも有る通り、戦後有名になったゼロ戦乗りの方も言っていた通りで、普通に使われていた事を知っている人は沢山いますからね…それに検索するだけで直ぐに分かる話です。

    まあ、現在のユンケルやリポDやタフマン…今時の若者はレッドブルとかモンスターエナジーとかかな?みたいな感じで普通に手に入るものでした。

    なお、アホなおいらはいまいち元気が無い時とか朝飯食べなかった時とかにレッドブルとかエナジーモンスターは効くんだよな…結構頑張れる!(笑)…まあ、飲んでも月に一回有るか無いかだから効くんだろうし、しょっちゅう飲んだら体感的に体には良くないと思うよ?w

    で、妄想を始めますが…実はこの「食べた瞬間にカーッ」と云う表現は別件でヒロポンを調べていた時にウィキペディアの出典にあるリンク先を見て偶然知っていました。

    一応引用をします…けど…
    先に断っておきますが、この文章も旧日本軍を遠回しに悪者に仕立てたいと思わせるものになっていると感じます。それに検索をしたら去年(令和3年、2021年)の夏、終戦の日に合わせて5ちゃんねるでこの文章を使って悪意を感じるスレッドが立てられていたりと工作臭もぷぷん丸です。

    では…
    「明治大学学術成果リポジトリ」
    「戦後直後の覚せい剤蔓延から覚せい剤取締法制定に至る政策形成過程の実証研究」
    https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/19952
    発行日:31-Oct-2018

    この中に本文のPDFのリンクがあり
    https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/19952/1/shakaikagakukiyo_57_1_1.pdf

    この4ページの中盤に…
    引用開始>>>
    1945年 1月に海軍軍医少尉として九州に赴任した蒲原宏は次のように述懐する。「夜の仕事が多かった。春に沖縄戦が始まると毎日のように深夜 1時、 2時に飛行機が出た。沖縄まで 3時間くらいだから、朝方に攻撃するためだね。頭がさえるからと、搭乗員に「疲労覚醒なんとか剤」なんて名前の注射を打ったよ。今思えば(覚醒剤の)ヒロポンだったんだな。当時は軍の命令に従うだけだったよ。/戦争末期、出撃機の大半が特攻だった」 (2016年 7月 21日付『新潟日報』夕刊)。 1939年に陸軍薬剤将校に任官した宗像小一郎は「ヒロポンを航空兵、又は第一線兵士の戦力増強剤としてチョコレートなどに加ヘて居たことも事実であり」と追想している(二七会 1992:221)。

    宗像のいうヒロポンを混ぜたチョコレートは、どのようにして作られていたのか。 1945年 2月に大阪・茨木高等女学校に転校したある生徒は、すぐに学校に隣接するプレハブ工場へ勤労動員を命じられた。そこで彼女は他の女子生徒とともに、「15センチほどのチョコレートの棒を 1本ずつ包装し、束ねて箱詰め」する作業に携わった。ある日、それを上級生から強引に食べさせられると、「カーツと体が熱くなった」という。「「ヒロポン(覚醒剤)入りよ。特攻基地に送るの」と教えられた」 (2016年 11月 2日付「京都新聞J夕刊)。
    <<<引用終わり。

    (2016年 7月 21日付『新潟日報』夕刊)の蒲原宏なる人物の追想というのがこれまた怪しい!(笑)そして(2016年 11月 2日付「京都新聞J夕刊)で、この件の「カーツと体が熱くなった」と続くわけですが…

    この「カーツと体が熱くなった」というのは、今日の記事の中の梅田和子という人物同一人物なのはほぼ間違いないでしょう。あっちこっちで言って回って来たのでしょうね。

    それに新潟日報ってしばき隊の闇のキャンディーズと名乗っていた上越支社報道部長の坂本秀樹なる人物が脅迫事件を起こした社ですし…そして金髪●野郎津田大介も特別編集委員で関わっています。あぁ~…妄想が爆発しますね!w

    二七会というのも正体がよく分からず、この手の名前の会って沢山あるみたいで…
    突き止める余力がおいらにはありましぇん。
    ピエン(´;ω;`)
    という大いなる妄想でした。(笑)

    そういえば…ヒロポンで思い出しましたけど、殺人犯が起こした金嬉老事件なんて有りましたがビートたけしが演じて居た記憶があります。眠気覚ましにヒロポンなんて言葉が出ていましたが…こっちは本当っぽいですよねぇ~…w
    ぱよぱよち~ん!

  21. そもそも、「プレハブの建物」という便利な物はいつ頃から日本に存在してたのでしょう。
    当時だったら掘っ立て小屋だとか、バラックという言葉があったと思うのですが、如何でしょうね。

    • プレハブ工法が日本で一般化したのは戦後だそうですから、
      人口に膾炙されるようになるのは戦後ということになります。

      相可なる人物が、過去の出来事に現代の知識を混ぜて作った創作話ということが明らかです。

    • 日本では1941年に試作されたそうです。
      規格化されたのは戦後。

      当時最先端の出来たばかりの小屋…疎開先にあるわけがないしめちゃめちゃ目立つ新築ですね。

  22.  昨日のヤフートップにも見出しが出てたので「この時期」に出てくるなんて胡散臭いとは思ってましたが、案の定でしたね。
     またこの手のデマが訂正される事も無く放置されるんでしょうね。

  23.  この手の与太話を真に受ける馬鹿は後を絶ちませんね。

     https://hatarakikata.net/16441/#comment-63

     一応「細かい検証は今後も必要かもしれないが」と断ってはいるものの、戦時中の状況を理解していれば、大雑把な検証でも突っ込み処満載と言う事がリンク先の連中には自覚できないようです。

  24. ふと思ったのですが
    パヨクのデモって、犯る前に、変なクスリやってから
    喚いてるのでは?と…疑惑が益々深まります。
    あの基地害地味た様子を見る度に感じます。
    もしかしてヒロポンだったりw

    • あれは、宗教的熱狂、宗教的陶酔に近いものだと思います。
      軽いトランス状態ですね。
      安保法制騒ぎの頃のラップ調の叫びが象徴的です。

      雰囲気への同一化による恍惚感を味わっているのですよ彼らの多くは。

    • ヒロポンでなくても左翼はやってます。
      だから大麻やハシシの解禁も同様に運動している。
      カナダみたいにヘロイン解禁までいきたいんでしょうね。

  25. 今晩は。
    今回のお話は所謂「従軍慰安婦問題」と所謂「徴用工問題」と同じですね。
    どんなに決定的な証拠がなくとも、兎にも角にも日本軍を悪者に持っていこうとする辺りが良く似ていますね。
    こうやって冤罪が作られて、日本の名誉が傷つけられているのです。
    然う言えば日教組は北朝鮮のシンパが多数いるという話を聞きます。
    この手の話の裏には朝鮮総連と日本社会党(現・社会民主党)が絡んでいるとも言われていますし。
    相可文代という人物は社会民主党の関係者或いは支持者と考えるべきではないでしょうか。
    社会民主党は国政選挙で惨敗を繰り返し、所属議員が立憲民主党やれいわ新選組などの他の左派政党に移るなど散々な状況ですが、地方では一定の勢力を保っている為、未だに影響力があるといわれています。
    然う言えばJR伊東線の来宮駅で、当駅が無人駅である事を知っていて、態と駅員にごねた女性の障害者は、社会民主党の常任幹事でしたね。
    詳細については、元日刊スポーツの競馬記者だった松田隆氏の「令和電子瓦版」に特集記事の項目にその方の記事ありますので、其方を見てた抱ければ幸いです。

    https://reiwa-kawaraban.com/tag/%E4%BC%8A%E6%98%AF%E5%90%8D%E5%A4%8F%E5%AD%90/
    https://reiwa-kawaraban.com/tag/%E4%BC%8A%E6%98%AF%E5%90%8D%E5%A4%8F%E5%AD%90/page/2/
    https://reiwa-kawaraban.com/tag/%E4%BC%8A%E6%98%AF%E5%90%8D%E5%A4%8F%E5%AD%90/page/3/

    兎に角、嘘・出鱈目でもいいから相手を貶める工作を左翼は好みます。
    自分達が上位であるという儒教的価値観も見え隠れしています。
    平成元年に東欧の共産国が(色々な形で)民主化を達成する事ができましたが、東アジアの共産国は共産主義の思想に加えて儒教的価値観が入り込んでいた為、民主化に失敗しています。
    同年に支那で起きた6.4天安門事件を見れば分かると思います。
    行き過ぎた個人崇拝が民主化を阻んでおり、支那や北朝鮮が正にその通りになっています。
    話を戻しますが、上記項目だけではなく、自由民主党や安倍晋三元総理に関連することは全てこの工作に該当します。
    統一教会問題について自由民主党、特に清和政策研究会の議員にピンポイントを絞ってマスコミや一部の左派系文化人、弁護士などが批判を繰り返していますが、実際は立憲民主党なり国民民主党なり日本維新の会の会にも飛び火する問題であり、あの公明党も無関係では無いとも言われています。
    更に自由民主党の嘗ての支持団体の一つであり、現在は立憲民主党の支持団体の一つである立正佼成会は統一教会を日本に齎し、マスコミも統一教会に協力的な活動をしていた事もネットなどで暴かれ、人事では済まされないことになっています。
    しかし、マスコミは身内擁護と既得権益死守、そして特定野党を庇う為に事実の矮小化、即ち「報道しない自由」を行使し、国民から「知る権利」を一方的に奪っています。
    マスコミの報道を決して鵜呑みにしてはいけません。
    マスコミが隠す「不都合な真実」がある可能性が高いので、ネットなどを見てファクトチェックを行うべきでしょう。

    • >相手を貶める工作を左翼は好みます。
      ⇒これと「儒教的価値観」というところが現実を見ているとしっくりきます。
       本件の本文を見ると、ほとんどが伝聞と推定による決めつけであり客観的
       な資料の引用は有りません。(引用があっても他者の推定内容ばかり)
       でレッテルを貼るか、誘導して印象操作している。朝日が散々やっている
       モリカケ桜と同じ構図ですね。そして今現在進行している安倍元総理や
       自民党と統一協会の関係性の話。この時期に持ち出してくるあたりに正体
       と目的が丸見えです。まあ在庫サヨクの作り話でしょうね。

  26. >(特攻で)純粋な気持ちで亡くなっていった若者たちが、実は覚醒剤を摂取して出撃していた

    と言うデマを広めたいのはわかった。管理人のご指摘通り、少し考えてみれば嘘は明らかなのだが、残念ながら鵜呑みにするバカが一定数いるだろう。

  27. 一番のツッコミどころは、記録が一切残っていない点でしょう。
    陛下からの御下賜品ならば、製造場所、人員、原料から製品まで数も正確に記録されていなければおかしい。

    曖昧な伝聞をもとに空想を膨らませたのでしょうね。

    珊瑚は大切に

    • というか旧日本軍ほどくそ真面目に命令書がないと動かなかった組織もないです。
      食料工場だというのなら帳簿や命令書などの書類がただの1枚も残ってないなんてありえません。
      ほぼまちがいなく虚言だと思ってます。

  28. 毎日の更新、お疲れ様です。

    ヒロポンについて、よく知らない人は「ヒロポン」のことを商品名ではなく、覚せい剤を示す当時の隠語のように捉えているのではなかろうかと、ふと思ったところでした。

    当時のヒロポンについて、簡単にまとめていたところがあったので、載せておきます。

    ぶらりらいぶらりぃ ~図書室にはこんな本があります~ No.116(昭和館 図書室)
    https://www.showakan.go.jp/floor/4f/library/n5p38m000000b2h5-att/burari_library116.pdf

  29. 記事の梅田某や軍医なる輩は私の両親と同年代なので、突っ込み所満載な内容でした。
    亡父の名誉の為に断言しますが特攻隊員に無理矢理ヒロポンを注射などあり得ないです。
    もし事実だとしたら軍内で噂になっていたでしょう。ですがそんな話しは一度も聞いた事はありません。ヒロポンの事は話題になってもです。
    本当にパヨクらには怒りしかない。

  30.  仮にこの話が事実であったとしても、確実な死に向かっていく隊員達にヒロポン入のチョコを食べさせるのは、むしろ温情的・人道的に思えます。冷徹に、特攻前の盃を酔うといけないからと水盃に替えさせた隊もあったくらいだから、これまた整合しませんが……

  31. 引用されている相可というアカい人の取材は、かなり偏向していてレベルも低いように思いますね。
    にゅーずウィークとかには、個人に取材した記事が結構載りますが、これは現在進行形の問題の渦中の人物という人選が多いです。昔の事実を掘り起こすなら、もっと多くの情報を収集すべきでしょう。

    私は基本的に、ごく少数の個人の体験を紹介するルポを重要視できません。人間は間違えるし勘違いするし、時間経過とともに記憶が変質もするのですから。
    それを取材した人物が、どのように公平性を確保し、合理的に裏付け傍証とりをしたかも、自己証明する姿勢の有無が問われます。
    こうした複数の理由から、歴史全体を俯瞰的につなげて結論づけることは、とうてい無理だと思うのです。しかし、アカい人たちは、この手の手法を好んで使いますね。寄り添うとか言いながら。

    それと、ヒロポンなんか知名度は低くはありません。
    ヒロポン、メタンフェタミンで検索してみても、戦中に複数の国軍で使用されていたことがわかります。日本軍が特攻隊にだけ、そのせん妄誘発性や中毒性を知悉したうえで投与したかの印象操作をしていればかなり悪質です。

    要は、アカ専従の日教組さんや反日勢力の決め文句である、特攻隊は無駄死にさせられた、戦時下の若者は、二度と戻らぬ大事な青春を犠牲にさせられたの類のネタを探していたら、ヒロポンに辿り着いただけやろ、という疑惑を拭えません。
    ぱよぱよち〜ん。

  32. 古い記事ではありますが。

    このチョコレートはドイツから輸入されたショカコーラを誤認されたものであると考えるのが妥当です。

    理由として、
    1)覚醒剤は味が酷くチョコレート程度の食品ではまともに誤魔化せるものではない。
    2)覚醒剤は口から摂取した場合、効果が出るのが遅く証言と矛盾する。
    3)当時、カフェインが多量に入ったドイツ製のショカコーラが日本へ送られている。
    4)ショカコーラはパイロット向けに作られており日本のパイロットが口にしてもおかしくない。
    5)ショカコーラのカフェイン量は極めて多く証言のかーとなった等の症状と一致する。
    6)証言者が直接、製造過程を見ておらず全てがまた聞きである。
    7)当時の物資不足である状況で覚醒剤を不適切な方法で使用する理由がない。

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