朝日新聞の愚痴が止まらないようです。
【なぜニュースを避けるのか 回答には「暗い気持ちに」「偏向報道が」】
ニュースに触れる機会、増えている? それとも減っている?
朝日新聞フォーラム面が「ニュース離れ どう思う?」というテーマでネットを通じてアンケートを募った。
デジタル時代を迎え、スマホやパソコンなどを通じてニュースに触れる機会は増えている。一方で近年、「ニュースに触れる人が減っている」「多くの人がニュースを避けている」という傾向が世界的にも強まっているという調査結果が出ている。
コロナ禍やウクライナ戦争などのニュースの多さに「気分に悪影響がある」「ニュースの量に辟易(へきえき)している」と考える人も多いという。
アンケートの自由回答では、次のような意見が寄せられている。
「悲惨なニュースにばかり目がいって、その日をずっと暗い気持ちで過ごしてしまいます。その上、自分は何をしてもこれを変えることはできないと無力感を感じてしまいます」(東京、女性、10代)
「SNSなどで自分の興味関心のある内容の投稿や記事を読むことに時間を費やしているから相対的にニュースから離れているということだと思う」(兵庫、男性、30代)
「なんでニュースのコメンテーターに専門家でもない芸能人を出しているのか? 視聴者をバカにしているにも程がある。あと偏向報道が過ぎる」(大阪、男性、20代)
「ニュースで報じられる内容(特に政治関連など)が本当にそうなのか?とニュースを受けとる側が疑惑の目を向ける人が増えたからだと思います」(静岡、女性、30代)
「ニュース離れが特に著しいのは若者だと思う。インターネットでいかに信頼のおけるニュースを提供するかが、重要なポイントだと考える」(大阪、女性、60代)
アンケートは26日午後2時まで実施する予定で、誰でも参加できる。サイトでは回答者の自由記述を読むこともできる。
(2023/10/21 朝日新聞)
朝日新聞は特に購読者数の減少ペースが速くなっています。
嘘は当たり前、偏向報道だらけで事実をきちんと伝えず、
またイデオロギーのからまないニュースであっても
情報の正確性が低いのが朝日新聞。
という実態がかなり広まってきているからではないかと思います。
日本のマスゴミは総務省の役人どもと連んで
様々な規制により新規参入ができないい状態を作り出し、
ユーザーに対して選択肢を与えないことで利益を最大化してきました。
それと合わせてマスゴミ各社が談合することで
国民に間違った情報を刷り込んで世論をミスリードする
ということも繰り返してきました。
一般の製造業は製造した品物を商品として売るわけですが、
マスゴミにとって商品とは何かと言われたら情報なわけです。
その情報に嘘ばかり混ぜて、
時には全く取材しないででっち上げるのも当たり前。
明らかな嘘がバレてもマスゴミ各社の談合によって
お互いをかばい合うため問題にされないし、
総務省のキャリアどもという税金泥棒は
自分達の天下り先を守るためにこうした国民を騙す詐欺行為、
報道犯罪について一切処分されないようにルール整備をさせないできましたし、
どうしても国民からの批判が高まって処罰しなければならないときは
総務省の局長でしか処分ができないようにした上で
「注意」
という名の実質無処分を最高の処罰という事にしてきました。
そんな体制で戦後何十年と続けられ甘やかされ続けてきた日本のマスゴミは
なぜ自分達が相手にされなくなってきているか理解できないほどにバカの集団となってしまいました。
東京新聞にいたっては望月衣塑子が看板記者になるレベルです。
ニュースを避けるのかではなく、
わざと日本人が自信を無くすように
日本を貶める事ばかりに力を入れ、
本当に国民に知らしめるべき問題はスルーし、
ベンゼン環すら理解できない素人が科学専門担当をやったりと
全く勉強していないので良いニュースであっても解説が的外れ、
あげくに取材対象に
「俺たちにもわかるように説明しろ!」
「俺たちが国民の知る権利を代理してやってんだぞ」
と食ってかかる始末。
自分達にとって商品であるはずの「情報」の質が極めて低い
という致命的な事実を棚に上げて
「なぜニュースを避けるのか」
なんて言っているのですからお話になりません。
最近はSNSで日本のマスゴミの記事がすぐにフルボッコにされるようになりました。
特にXではコミュニティノート砲を被弾しまくるのがマスゴミ関係者
ということも少なくないのが現状です。
これに困った朝日新聞はついにこんな記事を出してきました。
【「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは】
何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。なんだか自分の感覚や経験則には、なんの価値も無いような気がしてしまう。「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)の著者で、大阪大学教授の村上靖彦さん(53)に、エビデンス重視の世の中にどう向きあえばいいか聞いた。
――著書が売れています。社会の動きだけでなく、人の気持ちも数値化していった結果、失われたものがあるのではないかというテーマの本です。
会社員の方からの反響が大きかったです。みんな数字に追われてつらいのでしょう。SNSでも、データを持ち出してきて、自分の気に入らない投稿を批判するような書き込みが目につきます。エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延(まんえん)しているように感じます。
――教え子の大学生たちから、「先生の考えに客観的な妥当性はありますか」と聞かれることもあるそうですね。
僕の研究は、ヤングケアラーや看護師、困難を抱えている当事者たちの語りを分析する内容で、数値的な証拠は積み上げない。まだ統計の意味をしっかり学んでいない若い学生は、数値データを使わないことに耐えられないのかもしれません。現代社会では、客観性や数字的なエビデンスこそが真理だとされているので、無理もありません。
しかし、個人のそれぞれの経験のなかにも、普遍的な事実はあるはずです。語りの中に小さく折りたたまれた細部を読み解き、語り手の内側にある視点から社会構造を描くと、どうして差別が生まれるのか、困難な状況に追い込まれる人がいるのかが見えてくる。数値的なエビデンスや客観性がとる視点とは逆向きの視点の置き方ですね。
――たった1度の個人の経験も学問になるのですか。
挑戦的な研究だとは思います。「客観性」という言葉が普及したのは19世紀半ば以降といわれていますが、自然科学を中心とした近代的な学問では、再現性や統計的な蓋然(がいぜん)性が重視されてきました。でも、個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実です。同時に誰にとっても意味のあるものになり得る。小説や映画はそうした経験をとらえ、多くの人に伝わる表現に落とし込んでいますが、僕らはそれを現象学で試みている。エビデンスが重視される世界のなかで、個別的な経験から普遍的な意味を取り出すことの意味を問い直したいと思っています。
「エビデンスに殴られている」 分断の道具に使われる客観性
――去年、小学生の間で「それってあなたの感想ですよね」というフレーズが流行しました。論破ブームも続いています。いつでも数値的な根拠が必要で、自分の経験や考えには価値がない気がしてしまいます。
~以下会員専用~
(2023/10/31 朝日新聞 真田香菜子)
「エビエンス?ねーよそんなもん!」
とか平気で言ってしまうのが編集委員に出世するだけあって、
嘘ばかり垂れ流しているので、
嘘だと裏付けるためにエビデンスを提示されて
次から次へとワニワニパニックみたいに
嘘がバレては叩かれ、嘘がバレてはた叩かれを繰り返しているからでしょう。
報道の看板を掲げておきながら
「俺たちは主観とイデオロギーでニュースのフリしてるだけだ。だからエビデンスとか客観性とか出してくんじゃねよ!」
という目的の記事を堂々と出すって相当に恥ずかしい話ですし、
それだけ朝日新聞の中の人たちのレベルが低すぎるという事を
朝日新聞自らがアピールしているようなものです。
ちなみに今回取り上げた記事では
会員専用に省略された部分に
――
先日、福島に行ったのですが、住民の方と原発処理水の話題になりました。
その方は、「福島では『汚染水』とは絶対に口にできない」と言いました。
政府が示したデータを信用できないという立場を示したら、
問題にふたをしながら暮らしている周囲とあつれきが生まれる懸念があるようです。
福島に住む人たちは、原発をめぐって様々な体験をしてきました。
帰還困難区域や地域ごとの支援金の額の線引きで、住民同士の摩擦が起きたり、葛藤に苦しめられたりしています。
被曝線量でも問題の残るデータ利用がありました。
甲状腺がんの訴訟も起きていますが、このような文脈があるなかで「エビデンスがあるから処理水は安心だ」と言われても、健康に関わる心配は絶えないでしょう。
ある人は「エビデンスに殴られているような感じがする」と言っていました。
政治や大企業はエビデンスを振りかざし、彼らの恐怖を無視している。
不安の声をふさいで、1人ひとりを無力化しているのではないかと思います。
――
なんてあったりします。
こんなことを言うのが村上靖彦という大阪大学の教授です。
「汚染水って言いたいのに!エビデンス無しで不安を煽って風評被害を拡大させたいのに!」
という朝日新聞の中の人たちの意見を
村上靖彦の言に便乗して記事化してきたということだと考えていいでしょう。
科学的な「エビデンス」に基づいて
不必要な不安を払拭しようとすることを
「エビデンスで殴られている」
などと言って批判するのは
それこそ彼ら左翼の大好きな言葉で言えば「ナンセンス」ですよ。
さらにこの朝日新聞の記事に東大の佐倉統とかいう教授がこんなコメントを付けていました。
――
もともと数値による説明は、その分野に詳しくない人たち向けの道具だった。
専門家は数値など使わなくても、誰のどういう仕事が優れているのか評価できるので、「客観的」な数値データなど必要ない。
~以下省略~
――
朝日新聞の記事を正当化するためとは言え、
教授として飯を食っている人がこういう事を言うのは論外だと思います。
そもそも
「数値による説明はその分野に詳しくない人たち向けの道具だった」
というのが間違っています。
客観的・定量的、つまりは根拠のあるエビデンスなしに学術業績の評価を行うって、
ブログ主が毛嫌いしている社会学の世界そのものではないでしょうかね?
左翼学者同士のコネで業績評価が決まってくる糞みたいなのが社会学だとブログ主は考えています。
なんとなく朝日新聞と朝日新聞の記者達は
日本と日本国民の敵だと思うので
今すぐ会社をたたんで日本から出て行って下さい。
エビデンス?エビデンスが必要とか言い訳してんじゃねーよ!
関連して朝日新聞記者の小宮山亮磨とかいう人のツイートから。
――
Ryoma Komiyama 小宮山亮磨 @ryomakom
記事スクショ、またやっておられるなぁ。許容範囲なのかなぁ。記事の内容を紹介するツイートはよくあるし、フェアユースの範囲がどこまでなのかは難しい。
――
ツイ消しに備えてスクショ貼っておきますね。
朝日新聞の今年9月30日の記事では
【生成AIを使って書いた記事、盗用で謝罪 専門家「技術以前の問題」】
スクショを利用していますね。
この記事に限らず朝日新聞さんもけっこうスクショを使っているんですが?
また、朝日新聞としては別の理由もあるかもしれません。
これは朝日新聞に限らずですが、
日本の新聞社のWeb記事は改竄が当たり前になっています。
元々書いていた記事が嘘だとばれてしれっと中身を差し替えたり
タイトルごとまるっと記事が書き換えられていることもよくあります。
そして日本の新聞社は記事の改竄をする場合は
そのことを明かさないようにしています。
引用した記事がまるっと内容を差し替えられていることが少なくない。
なんてのが日本のマスゴミの現状なわけで、
日本のマスゴミのニュースに対する信用が低くなって
あまりユーザーに相手にされなくなるというのはある意味で当然じゃないでしょうか?
商品の品質が全く担保されていないんですから。
それにしれっと記事を書き換えて
書き換えたことを書かずに誤魔化すのがあたりまえ
そんな状態ならなおさらスクリーンショットにされるんじゃないですかね?
この記事のURL:https://pachitou.com/?p=6987
コメント
今更ながら、30年近く前に出された井沢元彦氏の「逆説のニッポン歴史観」という本を読み返しております。その本では30年以上前からの朝日新聞の悪行がこれでもかと出てくるので、吐き気を催しながら読み続けているんですが、本当に30年たった今なお朝日の悪行はとどまることを知らなさそうです。
科学技術社会論とかいう一見理系のような東大教授を引っ張り出してきて擁護にやっきですが、理系の世界でこんなことを言ったら馬鹿にされるのがオチだと思います。まあ因果関係ではなく相関関係だけをもって偉そうなことを言っている某社会学の偉い先生もいらっしゃるようですが、ド文系が偉そうに理系の世界にしゃしゃり出てくるなってところです。
古くはWW2での国民への煽り
やや古くなるが、弁護士一家殺人幇助事件から何も反省してないのな。
(「チッ、反省してまーす」の素振りはあったかな、「T豚は死んだ」と誰か言った気がするが)
>T豚は死んだ
成田闘争でテロリストのアッシー君(絶滅語w)をやった時点で既に死んでます。
今あるT豚はゾンビ。
今晩は。
マスコミが「第4の権力」と言われて久しいですが、マスコミに対して大鉈を振るい、ドバーッと流血するくらいの改革が必要だと思います。
その影響でマスコミが複数社潰れるかもしれませんが、其れを覚悟で実行すべきだと思います。
勿論、マスコミだけを改革しても意味がないので、行政機構の改革も同時進行でやるべきだと思います。
法整備も怠りなくやり、電波法、放送法の改正、戦後に廃止された新聞紙法と出版法を復活させ、現代に適用出来る様に改正すべきだと思います。
更に、官公庁とマスコミの癒着が正確で公正な報道の障害となっている事から、その辺りを是正する為に、第三の監視・監督機関が必要だと思います。
誤報や偏向報道に対して、視聴者、拝聴者、読者が監視・監督機関に対して通報が出来る制度も必要だと思います。
国家の維持や治安に影響を与えるもの関しては、厳罰に処すべきでしょう。
言論や思想、表現の自由は法律を遵守さえしていれば、その範囲内で自由が保障されるのですから、其れを意図的に逸脱するような行為は辞めるべきでしょう。
>朝日新聞は証拠や客観的データを嫌います
要するに嘘つきって事ですからね!あるいは…詐欺!
ダンボール肉まんとか、毒入り餃子みたいなもんです。
嘘つきは泥棒の始まりを地で行ってますからね。こんなのに軽減税率とかおかしいだろ!
それに消費者センターはマスゴミの調査も行ってその危険性をしっかり周知するべきだと思いますね、
珊瑚は大切に!ぱよぱよち~ん!
>いつでも数値的な根拠が必要で、
>自分の経験や考えには価値がない気がしてしまいます。
>(2023/10/31 朝日新聞 真田香菜子)
「価値がない気がする」ではなく、
「無価値どころか不利益」なのが真実なのです。
ご自身の足場が崩れ去り奈落に落ちる前に、
身の振り方を真剣に考えてくださいね。
・・・良心というものが貴女に残っているのなら。
ブログ更新お疲れ様です。
>朝日新聞の愚痴が止まらないようです。
アンケートの回答に当たっているのもあって笑いました。ニュースへの不信はマスゴミ自身が生み出しているのがわかりますね。もしかしてアンケートにかこつけての内部からの自社批判なのかも。
>これに困った朝日新聞はついにこんな記事を出してきました。
朝日新聞自身がアンケートでマスゴミ不信の意見を紹介しながら、まだこんなことを書いているようではどうしようもないですね。エビデンスを求められて困るような記事かくなよ、というだけなんですけどね。
>エビデンス?エビデンスが必要とか言い訳してんじゃねーよ!
エビデンスなしの朝日新聞批判も「個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実」として受け入れてほしいですよね。
>商品の品質が全く担保されていないんですから。
品質が担保されてるのは紙だけなのかも。
私の投稿が下のと二重になってしまいました。申し訳ありません。
ブログ更新お疲れ様です。
>朝日新聞の愚痴が止まらないようです。
アンケートの回答に当たっているのもあって笑いました。ニュースへの不信はマスゴミ自身が生み出しているのがわかりますね。もしかしてアンケートにかこつけての内部からの自社批判なのかも。
>これに困った朝日新聞はついにこんな記事を出してきました。
朝日新聞自身がアンケートでマスゴミ不信の意見を紹介しながら、まだこんなことを書いているようではどうしようもないですね。エビデンスを求められて困るような記事かくなよ、というだけなんですけどね。
>エビデンス?エビデンスが必要とか言い訳してんじゃねーよ!
エビデンスなしの朝日新聞批判も「個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実」として受け入れてほしいですよね。
>商品の品質が全く担保されていないんですから。
品質が担保されてるのは紙だけなのかも。
アカ日新聞の犯ってる事って
中共(支那朝鮮)がやってる処理水を汚染水と言うのと一緒ですよね。
(汚染水なら、何故日本近海に違法操業に来るんだよ?)
それを否定するなら、その「根拠」を示さないと話にならないのですが
その根拠が「お気持ち」ですからねぇ。嗤
そんなのだったら、別に金もらって記者稼業する奴じゃなくても
素人がSNSで何とでも言えますよね。
何の為に金もらって稼業にしてるんだか…(って工作資金かよ)
それに、そもそも「ニュースを避け」てる訳ではありませんよね。
その証拠に、こうして「ニュース」を元に
ブログにされてる訳ですからね。
「嘘のニュース」を庶民がオモチャにしてるだけで
それを〼掻いてる記者がバカにされてるだけですよね。
そう言う自覚すらないのが、アカ日新聞はじめとする
日本のパヨク記者ですね。
[…] 朝日新聞は?・・・事実や、証拠や、客観的データを嫌います。 […]
お疲れ様です
朝日新聞記者には「エビデンス」って言葉が難しすぎたんではないでしょうか。「裏付け取材」みたいに言わないと。
でも、朝日の場合裏取りなしに、疑惑の文書の画像や小説や証言を持ってくるからな~しかも、表出の画像の「K・Y」みたいに自分でねつ造までしてしまうし・・・
そんな、客観性も根拠も何もない「お気持ち」を記事にされたって、わざわざお金払って読みたいもの好きは居ませんよね~
ただ、この部分
>そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。
某NHKのニュース番組では一部AIの自動音声でニュースを放送しています。読み上げだけでなく、ニュース原稿や新聞記事もAIに作らせたら生き残りの道はあるかも?!
珊瑚は大切に
まだ朝日新聞社が大学生にも人気の就職先だった1990年代に、中の人から実際に聞いた話ですが、当時は 「朝日新聞社でいちばん出世しやすいのは、東大文学部社会学科卒」 で、記者からグループ企業のトップになるパターンも多かったそうです。
当時はインターネットの黎明期で、企業のホームページにはほぼ必ず 「社長からのご挨拶」 のページがあって、経歴まで載せている会社も多かったので、朝日新聞社のグループ企業やテレビ朝日の系列局のホームページを見てみたら、本当に経営者は 「東大文学部卒・元朝日新聞記者」 ばかりでした。
「記者職の社員から畑違いのグループ企業の経営者になるなんて、まるで役人の天下りじゃないか。自分たちは天下りを批判しているくせに。」 と思ったのを覚えています。民間企業だから、文句を言う筋合いじゃないですけど。
エビデンスは必要です。
ただ、佐倉先生の言葉も曲解されていると思います。
科学は最初はエビデンスの無い状態(定性も定量もされていない状態、で時にはほんの些細な時として直感レベルのところ)から始まります。
これは因果推論とエビデンスレベルで説明できます。
例えば、がんに効きそうな薬があったとしましょう。
そのエビデンスは実験室でがん細胞を殺した、とかマウスの癌を縮小したとか、いったエビデンスです。でも、この段階ではヒトのがんに効くかもしれない、という人間への効果に対してはエビデンスレベルの低い仮説です。
その次にやるのは人で、安全性もやりますが、効果があるかについての検証です。
この場合、ヒトで効果があるということはどういうことかを決めます(定義します)。
例えば、腫瘍を縮小させる、生存期間を伸ばす、など定量的に測定できるようにします。
それで薬をどのくらい投与すると、腫瘍の進行が遅くなるとか、そのまま進行しないとか、縮小するとか、何年間生存するか、などやっと定量的に表す事ができます。
ただ、これで腫瘍が腫瘍の進行が遅くなったとか、縮小したからといってもまだエビデンスレベルとしては低いです。何故なら腫瘍の進行が遅くなったというのは主観的だったり(元々そういう進行の遅い癌だったかもしれない)、自然に治ってしまったかもしれない(癌ではあり得ないですが、病気によっては自然治癒するもの、例えば風邪など結構あります)からです。
で、次に検証するのは薬の投与によって、癌が縮小したかという因果関係の検証になります。
それには薬を投与していない患者様と比較したり、既存の効果が検証されている治療と比較して、同程度なのか、優れているのかを検証することになります。
なのでエビデンスは必要ですが、それは些細な観察から始まり、エビデンスレベルの低い仮説から始まって因果性を検証したところで最も高いエビデンスレベルの仮説になるということができます。
このことを前提に置くと、佐倉先生の『もともと数値による説明は、その分野に 詳しくない人たち向けの道具だった。専門家は数 値など使わなくても、誰のどういう仕事が優れているのか評価できるので、「客観的」な数値デー 夕など必要ない。』だけで客観的なデータは必要無い、と言っていると捉えるのはいかがなものか。むしろ、それより後を理解しろと科学者は言いたい。科学者の仕事は今まで理論では捉えられなかった現象を上手く定義し、現象を元に理論に落とし込む事なので、理論化される前のモヤモヤした事を扱うのは日常茶飯事。
だからと言って新聞の様にエビデンス不要と言っているのでは無い。
> エビデンスとか客観性とか出してくんじゃね
.報道機関として言っていいんでしょうか。
> 商品の品質が全く担保されていないんですから。
.酷い有り様だと思います。
毎日の更新ありがとうございます。