すでにご存知の方も多いと思います。
かつての中川昭一酩酊会見について
中川郁子氏がFBに当時の話を投稿していました。
その内容が以下。
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夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。
今でも疑問に思います。
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2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って
夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。
日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。
日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。
夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、
「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」
と聞きました。
日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、
朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」
テレビもネットも大騒ぎだったのです。
スマホ、タブレットもSNSもない時代です。
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原財務事務次官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。
成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?
わたしは、夫の問いに
「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」
と答えるのが、やっとでした。
翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に
戻ったのだそうです。
しかし、その後、
「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、
と説明をしました。
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。
山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。
夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。
この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。
話は戻ります。
ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが
「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。
夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは
「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」
と言われました。
わたしからは
「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」
とお応えしました。
玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。
夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。
ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。
夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。
帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。
「病室ではテレビを見ないでね」と、
高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、
「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。
わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原財務事務次官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。
玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、
OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。
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「自分は、アメリカから殺される」
「こどもたちを頼む」
夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。
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まず内容の真偽については横に置いておくとします。
ですがこれは2009年の中川昭一酩酊会見直後から
あちこちから漏れてきた話をまとめるとこの内容と概ね一致する内容が
当時SNSで拡散されていました。
すると読売新聞は中川昭一に薬を盛る共犯役と指摘されていた
越前谷知子に関する情報を自社ウェブサイトの片っ端から削除。
そのうえで急にニューヨーク支局だかに異動となり、
民主党政権になってから再び越前谷知子を日本に戻すということが行われました。
当時の中川昭一の手腕は相当なもので
リーマンショックによる世界的な経済混乱への対策について
G20で集まった国々を瞬く間に説得し、
各国それぞれが財政出動を行う積極政策でまとめ、
財政基盤の弱い途上国への支援と信用を維持するために
IMFへの日本からの資金支援を決定しました。
当時は「人類史上最大の貢献」等の賛辞でもって
麻生太郎と中川昭一コンビの偉業を称えていました。
時事通信はIMFの日本からの資金支援への迅速な決定についての
IMFなどからの中川昭一への賛辞を報道しましたが、
麻生内閣を潰すために
「すべてにおいて無能、全然ダメ!」
という印象操作を行うことをメディアスクラムで行っていたので
都合が悪かったのかすぐに記事を削除するなんてことも行いました。
中川昭一の手腕は国内の経済を停滞させ続け、
増税スパイラルに追い込んで利権拡大をすることしか考えていなかった
日銀と財務省キャリア組にとっては相当な脅威に映ったであろうことは容易に想像が付きます。
そして直後にあの酩酊会見となったわけです。
当時の映像からしておかしかったのですが、
明らかに酩酊状態なのにもかかわらず中川昭一に会見をさせたこと。
本来であれば篠原尚之財務官は会見を止め、
それが無理なら代わりに説明をするなどしなければならない立場でした。
ところが日銀の白川方明とともに中川昭一の左右に座って一切なにもしないことを徹底していました。
この時点で中川昭一を晒し者にすることで
白川方明と篠原尚之が事前から意思疎通が出来ていた事は間違いありません。
さらにオールドメディアは
「この直後に中川昭一がバチカンで警報を鳴らす騒ぎをおこして注意された」
と報じました。
これに対してこの会見の直後に中川昭一に会っていた
バチカンの和田誠神父は
中川昭一からは全くアルコールの匂いは無かったし、
バチカンで警報を鳴らすような事もしていないと否定しました。
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「バチカンで警報機鳴らしてない」 中川前財務相が反論
2009年3月14日11時23分配信 産経新聞
自民党の中川昭一前財務相は14日朝の民放CS放送番組で、
ローマでの先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)での
「もうろう会見」後に視察したバチカン博物館で、
立ち入り禁止区域に入って
警報機を鳴らすなどの失態をしたとの報道について
「警報器も鳴っていないし、私に対する注意もなかった。
同行した神父さんから、お酒のにおいはしていなかったと手紙をもらっている」と述べ、一部は誤りと主張した。
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正論2009年5月号でも和田誠神父の手記が掲載されました。
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●バチカン神父が見た“あの日”の大臣
バチカン放送局 神父 和田誠
私は今、日本から送られてくる報道に、大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。
私は見学の間中、通訳として中川前大臣の最もお側近くにおりましたが、報道のような非常識な行為を、見た記憶はありません。また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子には見えませんでした。私はアルコールを一滴も受けつけませんので、その臭いには敏感です。しかし中川前大臣からは、お酒の臭いはしませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、ご説明したいと思います。
今回の問題を最初に報道した朝日新聞に、こう書かれています。
《(バチカン博物館に)到着時から中川氏の足取りはフラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしなかったという。案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。そのために警備室の警報が少なくとも一回なったという》
足取りがふらふらしていたかは、見る人の主観によるものでしょう。しかし言葉がはっきりしなかったとは、いったい誰が言っているのでしょうか。見学の間中、中川前大臣とお話したのは通訳であった私です。中川前大臣の言葉は、非常にはっきりしておりました。「案内役の説明を聞かずに歩き回った・・・」というのも、おかしな話です。案内役とはイタリア人ガイドの事でしょうが、彼女のイタリア語の説明を中川前大臣が聞けるはずがありません。中川前大臣は、私の通訳を聞いていたのです。私が通訳をしている間は、。もちろん歩き回りなどしませんでしたし、非常に熱心に耳を傾けておられました。
「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」というのも、私には大いに疑問です。少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は目撃しませんでした。一つだけ心当たりがあるとすれば、朝日新聞の記事に出てくる次のような指摘です。
《バチカン博物館でも特に有名な、「八角形の中庭」の「ラオコーン」像を見学した際には、観光客が近づき過ぎないようにするための高さ三十センチのさくを乗り越えて石像の台座に座るなど、非常識な行動をとったという》
この時の様子は、私も覚えています。さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、ロープを越えて近づいたのは確かです。このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに一言二言注意しましたが、中川前大臣はすぐ戻ったため、特に問題にはなりませんでした。
「石像の台座に触る」こともしていません。
記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、述べておきたいと思います。
バチカン博物館は規模が大きく、普通に見学すれば五~六時間はかかります。そこを一時間半ほどで見て回り、しかも世界最大級の教会堂建築として知られるサン・ピエトロ大聖堂まで見学したのですから、相当な急ぎ足で、とても「フラフラ」できる余裕はありませんでした。しかし、十分な時間はとれなかったとはいえ、このときの見学は、とても有意義であったと私は思っています。
中川前大臣は私に、美術と歴史に関する事を、とても気さくに話しかけて来られました。お話の内容から、とくに古代ローマへのご関心が高いようでしたので、私はイタリア人ガイドに指示して、ローマ美術とそれ以前のエルトリア美術を展示してあるコーナーを集中的にご案内しました。私は通訳の役目を、十分に果たしたものと満足にしていました。
ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。この間、バチカンで中川前大臣の「非常識な行動」が話題になった事は全くなく(そもそも非常識な行動などなかったのですから話題にならなくて当たり前ですが)、それこそ寝耳に水の思いでした。
朝日新聞の報道ののち、私は日本の新聞社、通信社、テレビ局から取材を受け、事実かどうかと聞かれました。、そこで、中川前大臣の行動に非常識な点はなかったと繰り返しご説明したのですが、私の発言は一行も報じられませんでした。
日本のマスコミはすでに、中川前大臣は酔っていたはずだ、非常識な行動をしたに違いない、という先入観にとらわれており、私の意見をまともに聞こうとはしなかったのでしょう。どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、残念でたまりません。
中川前大臣には、ご同情申し上げます。また、御家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、やり切れない思いです。私はたまたま通訳として、今回始めて中川前大臣とお会いしましたが、その場にいたものとして、事実と異なる報道で苦しんでおられるのを見過ごすわけにはいきません。このため取材にも積極的に応じてきましたが、記者たちの先入観を改めることはできませんでした。
今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、皆さまに心に平穏が訪れるよう、祈るだけです。
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ということで、少なくともオールドメディアが流した
泥酔した中川昭一は会見の後もバチカンで問題を起こしていた。
という話を繰り返し否定する話があったのですが、
麻生内閣を潰して民主党政権を作ることを目的にしていた
当時のマスゴミどもはこの件を報道しない自由で隠蔽。
普通はスキャンダルなどがあったら
日本のマスゴミは続報でも数字を稼ごうと追いかけ回したりと
いろいろやるものなのですが、
中川昭一の酩酊会見とバチカンでの粗相(おそらく捏造)
いずれについても追加取材などは一切されず
中川昭一の失脚と同時に止まりました。
様々な状況証拠から見れば読売新聞グループは
財務省と結託して中川昭一潰しを行ったと考えるのが可能性の高いストーリーでしょう。
当時の読売新聞グループは
不都合な情報の隠蔽を行った上で報道しない自由でだんまりを決め込んで逃げました。
談合しているマスゴミ仲間は読売グループのこの逃げを
全く追求しない、全く報じないことによって守る事を選びました。
そして今回あらためて中川郁子氏が当時の話をFBに投稿し、
これがSNSで拡散されると、
読売新聞はすぐさまこんな記事を出してきました。

【中川元財務相会見巡り、SNS上に読売新聞記者の偽情報…事実無根を確認】
読売新聞グループ本社は30日、本紙の元経済部記者についてSNS上で流布・拡散されている情報が、国会答弁や記者会見の客観情報から、事実無根であることを確認した。
問題の虚偽情報は、2009年2月、中川昭一元財務・金融相(故人)がローマで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議の閉幕後、ろれつが回らない状態で記者会見し、その後辞任した問題を巡るもの。SNS上では、記者会見の直前、当時の財務省国際局長が中川氏をランチに誘い、そこに本紙記者らが同席。本紙記者から「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら」と言われ、中川氏は渡された薬を飲みワインを一口飲んだ、とされている。
しかし、中川氏は帰国直後の国会答弁で、「若干風邪を引いており、前の日の夜、風邪薬をふだんよりも多めに飲んだ」「記者会見の場面で風邪薬等々の影響が出てしまった」などと述べ、自ら風邪薬を飲んだことが原因と認めており、本紙記者が薬を渡した事実はない。記者団に対しても、「風邪薬を(ローマに向かう)飛行機の中で飲んだ。それが多めになってしまったことが原因。酒も飛行機で飲み、その相乗効果で誤解を招いたのは事実で申し訳ない」と語った。
当時の河村建夫官房長官も記者会見で、中川氏から「風邪薬を多めに飲んだのが原因」との説明を電話で受けたことを明らかにしていた。「体調にかなり無理があった。深酒したとかとは全く関係ない」とも述べた。
本社は、虚偽情報の拡散は放置できないため、目に余る投稿の削除を求める法的措置を検討する。
(2026/3/30 読売新聞)
一言でまとめれば、
「読売新聞グループにとって都合の悪いストーリーが流されているが(客観的証拠はないが)それらは全部デマだ!拡散するようなやつには法的措置を取るぞ!」
証拠なくデマだと言い張り「法的措置を取るぞ!」と脅す。
読売新聞の狼狽ぶりがわかります。
故・中川昭一氏が当時の国会で真相を語れる状態にはなかったことは
多くの人が理解出来るのではないでしょうか?
そんな国会答弁だけを根拠にして「デマだ!」などとする事は
取材で証拠を固めるなどの裏取りを全くしない
既存のマスゴミのダメなところをより強調する形にしかなっていません。
かつてモリカケのときにマスゴミどもは
安倍総理が関係ない事を知っていながら、
さも安倍総理が犯罪をしたかのように印象操作を続けました。
安倍総理を犯人の親玉という設定で印象操作を続けていたマスゴミの主張に対して
都合の悪い事実が出てくる度にマスゴミは「疑惑はますます深まった」
などと根拠も無く言い出し、
挙げ句に
「疑われた方が潔白を証明する責任がある」
とまで言っていました。
オールドメディアは何かにつけ「記者会見しろ!」と
仮にその人間が犯人でなくても、被害者であっても、
カメラの前に引きずり出して
「自分達マスゴミ様が悪を追及するショー」
という構図を作り出して見世物にしてきました。
読売新聞は自ら記者会見を行い、質問者達が納得するまで答え続けるのが筋でしょう。
自分達は証拠も提示せず
「デマだ!拡散するなら訴えるぞ!」
と恫喝して黙らせて逃げようとするだけ。
こういうダブルスタンダードを堂々と繰り返すから
日本のマスゴミをより信用出来ないものであると
視聴者、読者に強く再認識させるに至っているのでしょう。


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