再生可能エネルギーと一部の発電ソースについて呼ばれています。
自然エネルギーなどによって利用する以上の速度で
エネルギーが補充されるからとそういう事のようです。
この点では水力発電は再生可能エネルギーと呼んで良いかと思います。
昨日は太陽光パネルについて取り上げました。
そしてそれが本当に「再生可能エネルギー」と呼べるものであるのか?
この点について書きました。
太陽光発電は自己の生産、再生までを
全て自前のエネルギーでまかなえるものではなく、
その大量生産のためにバンバン石油を燃やしているような状態であると言えます。
だからこそ太陽光パネルが
世界的な巨大ビジネスになるほど急速な拡大を遂げてきたのに、
世界のCO2排出量はちっとも減らない現実がそこにあるのです。
エネルギーペイバックタイムはほぼ3年以内、
だからものすごくCO2排出削減に効果があるのだと、
国連も言っている話が、本当にその通りなのであれば、
いい加減そろそろCO2排出ペースは落ち始めていないと説明がつかないはずです。
でも現実はそうなっていません。
まして日本においては大規模な伐採を伴っている事が少なくありません。
CO2を吸収する森が失われ、表土流出や土砂崩れのリスクが作られ、
また水源地が破壊される事にもなりかねないのです。
このあたりの要素も定量化して
コストとして計算に入れたらどうなるでしょうか?
そう考えれば特に日本においては
自身の生産や再生、解体、維持管理、
そうした全コストを太陽光パネルそのものが賄う事は
たたでさえ他国でも不可能だったものがより深刻な値になる事でしょう。
ただしブログ主は太陽光パネルや風力を否定する気はありません。
風力はかなり特殊にはなるでしょうが、
地域的な条件が整えばかなり有力な発電ソースになり得るでしょう。
また太陽光パネルというのは本来の目的が違うと思います。
たとえばです海洋観測のためのブイなどに
わざわざ発電用のタービンなんて作りますか?
設備が何倍も巨大化してしまって大変に非効率ですし、
故障やメンテナンスのコストも跳ね上がってしまいます。
それに陸地から電線を引くなんてのもナンセンスでしょう。
そういう時に太陽光パネルと蓄電池をセットにすれば
そこで人間が生活するようなレベルで電気を使うわけではない
観測用のブイなんかであれば十分な電力を賄えるでしょう。
宇宙空間を漂っている人工衛星なんかも
太陽光パネルの発電を利用しているものが少なくありません。
これだってわざわざ発電装置を付けるより
低コストかつ本体の軽量化にも役立つという理由からでしょう。
太陽光パネルこうした補助的なもので便利に使い倒すべきものであって、
日本のように大規模に禿山を作って山の保水力を奪って水源地を破壊し、
森林によるCO2吸収環境を破壊してまで進めるものではないはずです。
ましてや再エネ賦課金などというボーナス目当てで
大規模な環境破壊を政府が積極的に後押しする事が本当に正しかったのか?
この問題について「適切ではなかった」と
客観的な結論を出すべき時期にすら来ていると思います。
釧路湿原で進められているメガソーラー開発への批判が高まったためか、
【苫小牧市と厚真町にまたがる勇払原野 大阪ガスのグループ会社が風力発電計画の取り止めを発表】
野生生物への影響が大きいなどとして建設反対運動が起きていた勇払原野での風力発電について、大阪ガスのグループ会社が事業の取り止めを発表しました。
大阪ガスのグループ会社は、苫小牧市と厚真町にまたがる勇払原野に、高さおよそ190mの風力発電用の風車10基程度を来年春に建設する予定でした。しかし資材高騰の影響で採算が見込めないとして19日、この事業を取り止めると発表しました。建設予定地は、タンチョウやオオジシギなど希少種を含む220種類以上の鳥類が確認されていて、自然保護団体が署名を集め苫小牧市に建設中止を要請したり、生態系などの研究者からも反対の声が多くあがっていました。
(2025/8/19 HTB)
大阪ガスのグループ会社がFIT目当ての似たような計画を中止するようです。
今後は各自治体がメガソーラーなどについて
建築基準法と同等の規制を条例化するとか、
条例で水源地の環境保全を厳格化する等の対策を講じていくべきでしょう。
経産省や環境省のキャリアの方々は
再エネ関連も天下り先として積極的に維持したい側ですし、
国会議員にも再エネ利権議連ができるくらいには
再エネ利権の毒が回っているのですから。
さて、自民党の総裁選の話に移ります。
臨時総裁選の実現を妨害しようと
相沢一郎が記名方式を決定しています。
(実権を握っているのが岸田、菅義偉、森山裕らによる報復を警戒する人は総裁選実施すべきと意見をまとめられない)
マスゴミの方も石破政権を守ろうとしているのか、
なぜか急に石破内閣の支持率が回復しはじめ、
マスゴミの世論調査が次から次へと
「石破は総理を辞める必要は無い」
という結果が出ていると報じています。
それなら衆議院選挙、都議会議員選挙、参議院選挙と連戦連敗になるはずがありません。
自民党内の左派政権、岸破政権が倒れることで
保守系政権ができる可能性が高いので、
それを阻止するための世論誘導をはかっているのではないか?
と疑わざるを得ません。
この点では参議院選挙で石破の敗北から辞任圧力不可避と読んでか、
参議院選挙の投開票日直前に山本一郎とかいう人がこんな記事を出していました。
【高市早苗さんを、自民党保守層の流失の戦犯としないためにお願いしたいこと】
参議院選挙の戦犯である石破茂や森山裕の事を棚に上げて、
高市早苗を参議院選挙敗北の戦犯に仕立てようとする魂胆にしか見えません。
石破が失脚して高市早苗政権になる可能性が高いので
参議院選挙敗北の戦犯を高市早苗に仕立て上げて
高市早苗が総裁になるのを妨害したいと言ったところでしょうか?
参議院選挙では石破茂は現職総理とは思えないほど嫌われており、
石破茂と森山裕は応援演説にほとんど呼ばれず、
石破の方から押しかけて迷惑がられるような状態になっていました。
誰がどう考えても先の参議院選挙の敗北の直接的な責任は石破茂と森山裕にあります。
参議院選挙は高市早苗こそ戦犯なので
高市早苗が戦犯にならないようにするためにこうしろと、
参議院選挙のこりあと1日になってから出すようなのは
なんというか卑怯というかセコイというか。
でも逆説的に言えばこういう人達が
岸破政権応援団なんだろうなと思います。
ただしこの人達はそもそも自民党に投票していないでしょうけどね。
そういえば参議院選挙の総括を
参議院選挙敗戦の責任者でありながら責任を取ろうとしない
森山裕が自分で行うということにしていた話ですが、
【自民 参院選総括 9月2日にとりまとめ目指す方向で調整】
(2025/8/25 NHK)
案の定時間稼ぎに来ました。
昨年の衆議院選挙の大敗の時に
投開票の直後に責任を取らずに続投する宣言をしたのが
石破茂と森山裕のコンビでした。
選挙大敗の総括なんて全くせずに居座りを決め、
都議会議員選挙では事前から大敗予想が報じられていたためか、
石破茂も森山裕もほとんど都議選の応援には出ないようにして責任を回避。
そして参議院選挙では自身が力を入れていた地元の鹿児島県選挙区、
なんとしても二階の息子の世襲を実現させようとした和歌山県選挙区を落とし、
幹事長としての力の無さを見せつけてしまったのが森山裕です。
そんな人が自分が参議院選挙敗北の総括をまとめるまでは
責任を明らかにしない、つまりは辞任しないと言い張って来ました。
その参議院選挙敗北の総括について先送りをしてきたのは
誰の目にも時間稼ぎとしか受け取ってもらえないでしょう。
これが仮に時間稼ぎではないということであれば、
「石破茂と森山裕のコンビは仕事が遅くて停滞する」
という解釈をせざるをえません。
となれば結局は
「それじゃ総裁も幹事長も仕事が停滞してしまうようなので別の人にすべきですね」
という話ではないでしょうか?
それに森山裕幹事長は自民党鹿児島県連会長として惨敗の責任を取って辞意を示し、
そこを鹿児島県連に慰留されたのでと会長に居座る茶番を見せつけたばかりです。
となれば参議院選挙敗北の総括などと言って
岸破政権に責任はなかった!不記載がー!安倍派がー!
と言ったあたりを理由にして
岸破政権が敗北の責任を取らないようにすることを正当化しようとするのではないでしょうか?
森山裕幹事長としては今日の自民党内の総裁選挙委員会を
「まだ参議院選挙敗北の総括が済んでいない」
ということを理由に総裁選実施を否定させるための時間稼ぎが狙いのように思います。
衆議院選挙でも都議会議員選挙でも責任を取ってこなかった責任者達が、
「今後もいかに責任を取らないようにするか」
これに腐心して立ち回っている時点で今後の選挙も必敗です。
岸田や森山らからの報復を恐れず、
自民党の各県連は総裁選実施を決定すべきです。
むしろ総裁選不要なんて話にしようとすれば、
自民党はさらに有権者から支持を失うだけでしょう。
目先の権力闘争しか考えない岸破政権を維持すれば
自民党は本当に消滅することになりかねない。
その危機感を持つべきです。
コメント
何時もの事ですが、「民意」の定義もマスゴミの都合でコロコロ変わるんですね(冷笑)。
「戦犯」という言葉
山本一郎なる人物が語る「戦犯」。一体、何を意味しているのでしょう。
プロ野球の試合で打たれて敗北を喫した投手にスポーツ新聞が「A級戦犯」と大きな活字で書いているのを見たことがあります。これに限らず、メディアは、日頃の言説とは矛盾して戦争に関する言葉が好きなようです。「参戦」、「凱旋」・・・。
さて、この「戦犯」、どういう言葉なのか。
この戦争犯罪人、戦時国際法に違反した人物ということになるのでしょうが、これは誰が認定するのか、裁くのか。第二次大戦においては、戦勝国のワンサイドの判断でした。その責に応じて、A、B、Cに分けられています。
戦争を企図し、推進した人間には大きな責任があることは間違いありませんが、それは敗戦国だけのことか。戦勝国にも同様の人間はいなかったか。
上官の命令を遂行して、BC級戦犯として多くのいのちが絶たれました。戦勝国にも同様の事実はあったでしょうが、罪を問われたことはないようです。
勝者の敗者への断罪、この性格が強いものです。
あの東京大空襲を計画し、指揮したカーチス・ルメイ。
空爆範囲を閉ざしたものにして、逃げ道を奪って大量の殺戮を行いました。
これを人道に反する行為と言わずして、何と言うのでしょう。
戦後、このルメイには航空自衛隊創設の功労として日本から勲章が授与されています。
「戦犯」とはなんぞや。
原爆の投下についても同様に考えます。
「戦犯」という、極めて政治性、軍事性の強い言葉を能天気に使う思慮のなさに呆れます。
War Guilt Information Programを批判する人の中にも、無思慮が見受けられ、思想性の軽薄さに嘆息することしきりです。
最初に登場した山本一郎、このようなメディアを漂流して偉そうなことをいう無思慮の人間がいなくなることを願うものです。
「高市戦犯論」だけは、何としても阻止せねばですね。
それだけに、余計な揚げ足を取られないよう、某おばちゃん等のような限界保守には大人しくしてもらいたいですが。